7月31日

 エペソ書一章一八節の「心の目」が御霊によって開かれると、神に召されてクリスチャンとなった私達は、第一に真実の希望がどんなものか、第二に受け継ぐ神の国がどのように栄光に富んだものであるか、第三に神の力強い活動によって働く力がいかに絶大なものか(同一九節)等について知ることができるというのです。
 まず希望(のぞみ)とはまだ現存しない良い事柄への、将来における実現への期待であります。世俗的には無数の望みがそれぞれにあります。しかしキリスト者の抱く望みとは、即ちキリストの再臨、神の国の到来、死人の甦り、永遠の命、神の義に与り、救いが完成される等、どこまでも天上的、彼岸的、信仰的、霊的世界に属することであります。
 そしてこうした種類の希望こそ真実の希望であつて、他は悲しいことに望みとは言っても一時的、はかない望みと言わねばなりません。私共はキリストご自身、「私たちの望み」(第一テモテ一・一)、「栄光の望み」(コロサイ一・二七)、「唯一、神と人との間の仲介者」(第一テモテ二・五)ですから、どのような困難、苦難にもめげず、希望を失わず明日にむかつて進みゆかねばなりません。希望の根拠はどこまでもわたし達人間側にあるのではなく、キリストそのお方にあり、「失望に終わることのない」(ローマ五・一~五)神側から提供されるものです。