7月28日

 バプテスマ(洗礼者)のヨハネは、荒野に呼ばわる者の声としての役目を果たしていきました。「主の道をまっすぐにせよ」と預言者イザヤの言葉をそのまま取りついで民衆に叫んでいきました。彼は「声」に徹していこうと致します。誰が何と言おうと、ヨハネは、主の道を備えよ、まっすぐにせよ、主を迎える心準備をせよと、声を張り上げました(ヨハネ一・二三)。声は消えてもその言葉は残ります。
 最近日本語に訳されたドイツの女流詩人の詩に、「荒野の預言者」というのがあります。「引き返して来い!この道は破滅に続いている!お前たちが迷妄で、頑固であったとしても、このひとこと『人間』という言葉のために、聞く耳をもたぬはずはない。人間、その幸不幸は初めから、われわれの行為すべてに対しての、尺度であるはずではないか。引き返して来い!お前たちの人生は、お前たちが破壊し、そして破壊された者たちの加害者になる、そのためにあるのではなかった。引き返して来い!この道はすべての破滅に通じているのだ!」
 これが、荒野に呼ばわる者の声であります。声は消えても、その言葉は残り続けます。洗礼者ヨハネに人々は尋ねます。「あなたはどなたですか」と。「あなたはエリヤですか、あの預言者ですか」と。すると、「自分はキリストでも預言者でもなく、荒野で叫んでいる者の声です」と(ヨハネ一・一九~二三)。イエスのあかし人に徹しているのです。