7月24日

 平和とはふつう戦争の無い、無事泰平の社会状態を指します。しかし新約聖書ではマタイ一〇・三四、ルカ一四・三二、使徒二四・二、黙示録六・四などに限られ、他は旧約聖書のシャローム(平安)と同じ訳語でエイレーネ(平和)が用いられています。すなわちまず健康、無事を祈る日常の挨拶用語として扱われています。
 例えば主イエスが一二弟子派遣に際し、「その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい」(マタイ一〇・一二)と。また、イエス様は病人をいやした際に、「娘よ…安心して帰りなさい」(マルコ五・三四)と。そしてヨハネ一四・二七では、弟子達との最後の別れの時に、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます」とも仰せられました。
 パウロも彼が諸教会に送ったすべての手紙の初めに、「恵みと平安があなたがたの上にありますように」と祈っています(ローマ一・七他)。けれどもこの平安はイエス・キリストのあがないの血によって与えられるものであります(ローマ五・一、エペソニ・一四~一七)。ですからキリスト者はキリストの平和に充たされ(コロサイ三・一五)、平和を追い求め(第一ぺテロ三・一一)、「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(ルカ二・一四)と祈らねばなりません。