7月20日

 詩篇第一篇は詩篇全体の序言として、多分エズラが付け加えたものであろうと言われています。ここには神の律法を学ぶ正しい者の受ける祝福と、不敬度な者の不幸な運命とが記されています。
 最初の言葉は山上の説教の初めのように、「幸いなことよ」で始まっています。幸いであれとは、創造者である神が全人間に抱いておられる願いであります。しかしながらどのような人がこの詩にある幸福を満喫できるのでしょうか。それを示しているのが本篇です。すなわち、罪に遠ざかり神の言葉に聞き従い、その教えを喜びとする人だと言うのです。
 聖書の神は森羅万象をお造りになった御方、今も生きて居られる本当の神様、このかたは、わたしたちがヨハネの第三の手紙二節にあるように「たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように」と、願っておられます。
 だとすれば、いよいよ私たちは聖書に親しみ、御言葉の実行に励み、毎日これを黙想して恵みを味わいたいと願います。本篇にある悪者、罪人とは、真の神様を敬うことをしない不信仰者をさしており、彼らとキリスト者の生活はこの世で共にしていますが、しかし、彼らの風習に染まらず、非聖書的なことには断固反対して妥協せず、襲い来る世の勢力に巻き込まれることのないように、私たちは日夜主のみことばに親しんでいく者であります。