7月15日

 イザヤ五五・一では、飢え渇いているすべての人に対して、「水を求めて出て来い。金のない者も」と、いわゆるただで恵みを受けよ、救いに与るようにと預言者は訴えています。新共同訳では、「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい」と訳されています。いずれにしても水の源は「主なる神」であり、この恵みの時代の主人公イエス・キリストであることはいうまでもありません。イエスは大声で言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ七・三七~三八)と。
 夏です。のどが渇いて水を飲みます。しかし、少したつとまた渇いてすぐに冷たい水を求めます。この連続の中で一日が過ぎていきます。人生において人々はお金だ、物だ、快楽だ、楽しみだなどといって様々なものに飢え、渇いて求め続けますが、本当の満足もなくいつも何かしら欲求不満の中で生活しているのが現状です。生けるイエス・キリストから、救いの泉を飲んでいるクリスチャンはなんと幸いでありましょうか。「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」(ヨハネ四・一四)。感謝してこの救い主にいよいよ従っていこうではありませんか。