7月13日

 謙遜を身につけましょう。謙遜の反対は、高慢、高ぶり、思い上がりです。ですから自分の罪を自覚し、高ぶった思いを捨て、低きにつく心で進みたいものです。ヘロデ・アグリッパ一世は虫にかまれて死に(使徒一二・二三)、ネブカデネザル王は悲惨な生活を余儀なくされ(ダニエル四章)、明けの明星たる天使ルシファーは、神の王座を狙って天から追放されたのです(イザヤ一四・一二)。
 謙遜のモデルはもちろん主イエス・キリスト様です。十字架の生涯を全うされ、生前弟子たちの足を洗って、私たちに愛と謙遜をも教えられました(ヨハネ一三章)。聖書は謙遜を教えています(エペソ四・二、ピリピニ・三、ローマ一二・三、コロサイ三・一二、第一ぺテロ三・八)。
 旧約のモーセは謙遜な人でした(民数記一二・三)。ルカ一〇・三九のマリヤは謙遜に主のみ言葉に傾聴し、同一五・一三~二一の放蕩息子も謙遜になって父親の元に立ち返り祝福を得ました。箴言二二・四には「謙遜…の報いは、富と誉れといのちである」、とあります。また、ルカ一八・九~一四の取税人は目を天にあげようともせず神に謝罪し、そしてパリサイ人に勝って高くされています。第二列王記五・一一~一四のナアマン将軍は、一度は怒り国に帰ろうとしましたが、謙遜になって神の預言者の命令通りにしたところ、病はいやされました。
 自分は神に全く服従できない者だからこそ、神の憐れみを乞わねばならないという低い心で主に仕えましよう。「実るほど頭の下がる稲穂かな」。