7月11日

 祈りの生活と御霊による生活とは、互いに密接な関係で結ばれています。このことは主イエスの生活にはっきりと表われています。
 イエスが洗礼を受けられた時、天が開けて神の御霊が鳩のように下ったのは、彼が神に祈られた時でした。父なる神は子なるイエスに聖霊を注いで、すべき仕事をさせようとされました。御霊の力が無ければキリストでも人間的には何一つできませんでした。故に上からの能力が与えられました。
 しかし、ここにはイエスの祈りがありました(ルカ三・二一)。その他、ルカ五・一六、六・一二、九・一八、二八、一一・一、二二・四一、四四などにイエスの祈りの模範があります。ヘブル書五・七には「大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ」とあります。キリスト御自身でも祈られたのです。まして私たちクリスチャンが祈らずに生活できましょうか。
 祈る時に、御霊は注がれ、又御霊による力が、確信が、勇気・大胆さが、希望が、感謝、喜びがいよいよ注入されてゆくのです。まず、主なる神のみ前にひざまずきましょう。声ならぬ声、うめきをもって祈ろうではありませんか。
 「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ八・二六)。