7月1日

 福音書におけるイエス最後の言葉が「あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ二一・二二)との服従への招きであることは意味深いものがあります。弟子に対する最初の言葉もこの招きでありました(マタイ四・一九)。服従はイエス・キリストそのものヘの服従であり、それが目標であるのは当然であります。
 ペテロの原始教会における特徴は、服従への恵みと服従の証そのものでありました。復活のイエスはペテロに対し「あなたは」と語られました。
 服従は、実に十字架への道であり、自分の十字架を負うことでありました。服従への集中であります。「主よ。この人はどうですか」(ヨハネ二一・二一)と問うた時に、主イエスは「あなたは、わたしに従いなさい」でありました。わたしたちの十字架の道は、すでに主ご自身が私たちに代わって負い給うたものでありますから、それは苦難の道であっても、逆にそれは喜びであり、祝福でもあるわけです。キリストの生命は、私たちのために惜しむことなく犠牲とされました。この高価な恵みが、服従の招きにおいて指し示されているのです。
 果たして私たちの教会が、この信仰と服従の担い手となっているでありましょうか。信仰とは服従することでもあります。ペテロはイエスの服従の招きに従っていきました。神のことばを聞くとは、聞いてそれに従うことを意味します。