6月8日

 家庭の幸福は創造者であるまことの神を信じ、礼拝してこれに仕え従っていく生活にあります。必ずしも富、地位、名誉、物質、健康、能力、門閥、学歴によりません。主なる神への信仰なくして何の幸せぞということです。特に一家全員が聖書信仰、唯一なるまことの神を拝んでいく家庭こそ幸福を生み出していく家庭であります。聖書の神をおそれ、敬度な心を持って旧約のヨブのように(ヨブ一・八)悪に遠ざかる生活に邁進できたらと願います。主の道を歩む者こそ幸いなのであります。
 けれども信仰はただ座して神の祝福を待つことではありません。「働かざる者、食うべからず」の言葉のように、幸いなる家庭を築く者とは「自分の手で勤労する者のこと」です(第二テサロニケ三・一〇、一二)。信仰と生活とは決して矛盾するものではありません。全てを主にゆだね無用の心配を捨て、懸命に自らのベストを尽して働き労する者が、幸福だというのです(詩篇一二八・二)。そういう者がその実を食べることができ、楽しむことがゆるされる訳です。
 クリスチャンの家庭生活の基礎土台は、どこまでも神に畏敬の念をもち、これを恐れつつ、このひとりの神に仕え、自らに与えられし職分を全うすることにあります。信仰と勤労は車の車輪のように互いに助け、支え合うことにより、始めて真に幸福な生活が営まれるのです。