6月3日

 五旬節(ペンテコステ)という語は<第五〇>という意味で、それが過ぎ越しの安息日の後、五〇日目に当たるからそう呼ばれました(レビ二三・一五~一六)。五旬節は、それが過ぎ越しのときから七週目に当たることから七週の祭ともいわれました(出エジプト三四・二二、申命記一六・九、一〇)。新約聖書では、使徒二・一、二〇・一六、第一コリント一六・八の三ヶ所で五旬節の語に言及しています。
 過ぎ越しの祭は四月の中旬でしたから、五旬節は六月の初めだったことになります。これはユダヤ人の義務的で強制的な三大祭の一つでもありました。そして六月の初めは四月よりも旅行するのに好ましい気候でしたので、過ぎ越しの祭のときよりも多くのユダヤ人が遠くから五旬節の祭にやってきました。それで様々な国や地方の名が多く列記されているのです(使徒二・九~一一)。
 全てのユダヤの祭のように、五旬節も<農業上の>意義をもっていました。それは小麦の収穫の始まりで、その大きな劇的な儀式の一つは、新麦の粉でできた二個のパンをささげることでした(レビ二三・一六~一七)。過ぎ越しのパンと違って、これらのパンは普通のパン種をいれて焼いたものでした。これは宮でささげられるもので種をいれた唯一の犠牲でした。疑いもなく、その儀式は普通の日ごとのパンに対する神への感謝でありました。