6月29日

 ヨハネ福音書五・一九~二九は、ベテスダの池での癒しをめぐって、ユダヤ人との間に繰り広げられる論戦の中でなされる、イエスの説教が収められています。そして父と子との働きが一体であることを強調している言葉が私達の注目をひきます。み子イエスが父の全面的な委託を受けたさばき主であり、同時に救い主であられることをも見ることが出来ます。
 更にみ子の終末における権能がはっきりとした形で現在化して主張されております。二四節をお読み下さい。「死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」(同二五節)このように徹底して現在化された終末論の中に、疑いもなく私達の救いに係わる中心問題が示されています。実現されるべき私達への救いが、今ここに、この世界のただ中に起っていると述べられています。何というすばらしいことでしょうか。
 み父が遣わされたみ子イエスによって、彼を信じる者全ての者に与えられる救いであります。今やこの福音を聞く者に対して決断が促されているといってよいのです。み子イエスを信じて、これに従うのかあるいは拒絶するのか問いただされている現代です。イエスを信じ永遠の生命を得て参りましょう。