6月2日

 「主よ…祈りを教えてください」(ルカ一一・一)という弟子たちの願いは、今日のクリスチャンの願いでもあります。ルカ福音書ではマルタとマリヤの姉妹の話に続いて主の祈りが書いてあります(ルカ一〇・三八~一一・四)。人間にとって無くてならぬ只一つのものは何か、という事を問い、それはひたすらに、主のみことばに聞き入ることが示されています。
 それに続いて、祈る事を教えて頂きたいといっていることは大変大切なことです。なぜなら主のみことばに聞きいることと、祈ることとは深い関係があるからです。即ち、クリスチャンにとって主のみことばなしに祈ることはできませんし、逆に祈りなしに主のみことばを受けいれることもできないからです。祈りとみことば、この両者は不可分離の関係で、私たちを異教から、異端からも守ってくれるのであります。
 現代人はマルタのように、多くのことに心を配り思いわずらい、忙しくて、ともすると心とりみだした生活を送っています。ほんとうに無くてならない物が何であるかを見失っているのかもしれません。前記のマリヤはイエスの足元に座ってみことばに聞き入ったので、「マリヤはその良いほうを選んだのです」(ルカ一〇・四二)とイエスはいわれました。聖書を通じて私たちもますますイエスに問いて、イエスに祈っていきたいものです。