6月19日

 一九〇一年一月一日に、神は、カンサス州トペカのベテル聖書学校に、一九〇六年にはロサンゼルスのアズサ通りの一信徒の家庭集会における祈祷会に、聖霊を激しく注がれました。さらに広い場所に移されて連日三回の集会が三年間も続くことになりました。この恵みはアメリカ国内にとどまることなく、ノルウェー、スウェーデン、イギリスなどにも飛火していきました。
 こうして聖霊のリバイバルがアメリカ全土にひろがり、ペンテコステ信仰とその体験に立つ多くの同士が出来てきた頃、一九一四年四月二日から一二日にわたってアーカンソー州ホットスプリングスで、約三〇〇名の会衆を集めた総会が開かれました。この影響を受けた人たちが一九〇七年大人一六人、少年、幼児五人を含む計二一人で横浜に上陸したのです。どこからのサポートも受けず、ただ信仰によって遠い異国に福音宣教の為、来日しました。アッセンブリーのC・F・ジュルゲンセン師一家初来日にさかのぼる六年前でした。
 東京都北区滝野川に最終的に居を構えられたジュルゲンセン師ご一行は、一九一三年米国オハイオ州から渡日したのです。前記カール・フレデリック・ジュルゲンセン(ドイツ系アメリカ人)師も、やはりアズサリバイバルの影響を受けて神の声に従い、遥かなる日本にまで、ただイエス・キリストをのベ伝えるためにやってこられたのでした。