6月18日

 クリスチャンが「聖く、傷のない者に」(エペソ一・四)なる目標を掲げて進む事はもう自明の事でありましょう。世の中が悪から悪に、罪から罪に汚れていけばいく程に、私達の戦いは激しさを増します。
 しかしキリスト者の純潔は「傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです」(第一ぺテロ一・一九)。そしてキリストの血は、「私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者」とさせて下さったのです(ヘブル九・一四)。主なる神は聖霊のお力を与えてこの戦いに充分備えさせて下さいます。私達を主は選んで、召してクリスチャンとして下さったのも、実はこうした「清さ」を意識し、清さを求めてクリスチャンらしく歩むためである事を、改めて再認識しようではありませんか。
 世の大多数の人達が、金銭、物質、地位、名誉、快楽その他様々な地上的なものを求めて歩む中で、一人クリスチャンは主なる神の完全性と清さを最優先にして生活の駒を押し進めてゆく訳です。この事をパウロはエペソ書冒頭の挨拶の中ではっきりとさせています。私共の人生目標の第一がこの点に絞られているのです。
 その為にまず霊の諸々の祝福をもって祝福しているのです。主に在って清くなれると信じて、あきらめず少しずつでも聖別されて前進いたしましょう。天国を目指して聖化の道を賛美しつつ歩みましょう。