6月15日

 信仰は信頼です。故に自分に対する不信頼でなければなりません。従って不信仰は自分に対する信頼です。不信仰に三つの型があります。そして不思議にも一二弟子の中にこの三種の型があります。
 シモン・ペテロは第一種です。彼の純粋な信頼深い性質は自分の力を過信して、たちまち不振に陥るのが常でした。彼が三度その主を否定したのはその著しい例です。しかし、自力に対する無邪気な信頼は厳しい現実の前にたちまち潰れて信仰に入りました。この主イエスへの不信はもっとも簡単です。
 第二種を代表する者はトマスです。自分の指をイエスが十字架上で釘打たれたその穴に差し込んでみなければ信じられない人です。しかし、自分の判断が誤っていたことを知る時、トマスは事実の前に頭を下げて信仰に入ることができた(ヨハネ二〇・二六以下)のです。
 最も度し難いのは自分の信仰に対する信頼です。イスカリオテのユダがこれを代表します。彼は欲に目がくらんで銀三〇枚がイエスの生命よりも大切になったのと同時に、イエスの語られた教説が自分と違うことを発見した時、これに失望し裏切り、敵に渡して殺してしまった(マタイ二六・四七~五〇、ルカ二二・三~六、四七、四八、ヨハネ一八・二~九)のです。注意せねばなりません。