6月14日

 「世界人類が平和でありますように」という小さな看板を時折、町の中でみかけます。このスローガンを掲げることはたやすいのですが、しかしこれの実行となるとなかなか困難であります。
 主イエスは「平和をつくる者は幸いです」(マタイ五・九)とおっしゃいました。即ち、ピースメーカーであれと。平和は自然発生的なものではなく、人工的なものであります。人はいかにして争わず仲良くしていけるのでしょうか。そもそもカインがアベルを殺すところから始まった人類歴史ですから、その血を引く人間が平和であることの方が不思議なくらいです。
 今尚、地球上のどこかで紛争が、戦いが起き、血が流されているのです。ついには空恐ろしい核兵器の実験がなされ、相手がやればこちらもやるぞ、と威嚇します。そのための核爆発実験がパキスタンでも行われたのです(一九九八年)。平和を作り出すどころか、平和を乱す反逆行為であります。
 けれども私たちキリスト者はあきらめず敵意という隔ての中垣(エペソ三・一四~一五)をとり除くため、十字架上で死んでくださったイエス・キリストをますます宣伝し、まず私どもの回りから小さな平和をつくり、生み出してゆく努力を重ねていきたいものですね。「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう」(ヨブ二二・二一)とあるように、まず自分自身が神との平和を得て、神の子とされてゆきましょう。