6月12日

 エペソ書は教会を中心にして書かれたものと言われます。パウロの書いた手紙の中でも、ローマ書にも劣らないキリスト教の教理全般にふれられているとも言われます。しかもそれらは体系化、教理化を意味しているのでなく、「現実に生きておられるキリストの体なる教会」を現している手紙なのです。そしてパウロは教会を種々な言葉で表現しています。「キリストのからだ」(エペソ一・二二~二三)、「成長するからだ」(同四・一五~一六)、「建物としての教会」(同二・二〇~二二)、「キリストの妻としての教会」(同五・二二~三二)などです。これは本書が徹底してキリスト論的性格を持っことに起因しています。
 しかし、当時の教会は決して大きな教会ではありませんでした。そのもてる力は微々たるものでした。むしろ驚きはそうした弱小教会の現実の只中にあって、パウロが堂々たる教会論を展開していったことであります。
 内外の色々な悩みにおびやかされていたにもかかわらず、彼は将来の教会の発展を思い主の恵みを語り、教会のあるべき姿勢を霊の感動に打たれて執筆してゆきました。
 ですから今日もなお私達に語られているものとして、エペソの信者たちと共に、謙遜に聞くことが出来ます。そして、戦う教会、勝利の教会、また、主に聞き、主を礼拝し、主をあかしする教会として益々恵まれてゆきたいものです。