5月8日

 使徒の働き二章四節には、「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」マルコ一六章一七節には、「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り…」。パウロは、第一コリント一四・五で、「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」とあります。また同章一八節では、「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝しています」とも記述されています。
 あなたも聖書どおりにこうした異言を語るという体験、経験をお持ちになりませんか。知性の限界を超えて祈ることが可能となって参ります。もし、もう祈ることが何もなくなってしまった、知性からの言葉が途絶えた時も、私たちは異言を語ることにより、神と交流をもつことができるのです。第一コリント一四・二でパウロは続けて、「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです」といっています。
 祈り求めてこうした異言の伴う聖霊のバプテスマを体験されることを願います。使徒の働き一〇・四四以下と一九・一以下にも異言を語った事例がのっています。初代教会時代の一回かぎりの体験ではなく、祈り待ち望むものには、賜物として必ず与えられるすばらしい体験です。