5月31日

 使徒パウロはガラテヤ三・一四で「約束の御霊」を信仰によって受けるために「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました」(同三・一三)と言っています。
 ご聖霊はまずイエス・キリスト様が受洗された時下りました(マタイ三・一六)。これは以後のイエスの働きのためでもありました。そしてヨハネはイエスが十字架で死に、復活を通して栄光を受けられた後、信者たちに御霊が下ることを言っています(ヨハネ七・三九)。即ち、「イエスを信じる者が後になってから受ける御霊」(同上)とは、ペンテコステの日に注がれる聖霊を指しています。事実五旬節の日、約束の御霊は祈っている信者たちの上に下ったのです(使徒二・一~四)。
 その御霊は現今も信じ祈り求め、悔い改める者達の上に注がれるのです(使徒二・三七~三九)。イエスの御霊は教会歴史の中で具体的にキリスト者の上に与えられてきたのです。主イエス再臨までの教会時代とは、聖霊の時代でもあって主の御霊が大いに働いておられる時代でもあります。聖霊を受け、異言を語り、また満たされ能力を頂いて益々現代の主の証人として用いられていこうではありませんか。
 「…父の約束を待ちなさい。…もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」(使徒一・四~五)。「ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」(使徒八・一七)。