5月29日

 イエス・キリストの十字架は、彼の復活においてのみその威力を発揮します。
 十字架と復活を分離することはできません。キリストにおける贖罪のわざは下から見れば十字架であり、上より見れば復活であります。十字架も復活もキリスト教信仰の中核、一番の中心であります。両者は楕円形における二つの中心ではなく、一枚の紙や盾の表裏を貫く一本の矢、キリストの救いのわざにおける一つの行為であります。
 四つの福音書は色々な点において前後一致しない所、つじつまが合わない所もありますが、イエスの墓が空っぽである事、復活したイエスが弟子達に現れた事の二点は、各福音書とも共通しており、一致しています。福音書だけでなく使徒の働きも、弟子達の手紙も共に復活を大変重要視しています。
 けれども古来よりキリストの復活を認めたがらない人達は、弟子のうそ説、死体の盗去説、仮死説、種々の幻影説など諸説を主張しました。しかしこれらは聖書の証言する復活の記事とは何の関係もないのです。
 使徒パウロも第一コリント一五・三以下で、「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられた」と証言しています。