5月28日

 聖書の神は、人間を含め天地万物を創造なさり、これを今日迄保持しておられる神です。生物たる人には命と息と万物を与え、人祖アダムとエバによってあらゆる民族を地球上に住まわせ、それぞれに時代を区分し、季節をも与え、国土を備え、居住地の境界線を引いて、生活の安定をも考えられました。これは神を求めさせる為でありました。
 しかし、人々はこうした真実の神を知らず、いや熱心に追い求めれば探し出すことが出来るのですが、それもしないで、やたら自らの神々を造って気休めの偶像信仰に終始していました。当時のアテネには三千に及ぶ宗教施設があり、加えて「知られない神々」にまで礼拝が捧げられていました。ここでパウロはアテネ市民の宗教心を正しい方向に向けさせようとしています(使徒一七・二二~三一)。
 「神はこれ迄の宗教的無知の時代をまた、それぞれが自分の道を歩むことを許し(使徒一四・一六)、見過ごしにされてきました。けれども今は、どこででも全ての人に悔い改めを命じておられます。神は一人のキリストを立て、この方を甦らせることによって、新時代を到来させ、全人類が救われる可能性を確立されたのです。そして主なる神は最終的に全世界を裁かれるのです。」
 以上がパウロのアテネ人に対するメッセージの要約ですが、これは現代に対する神の語りかけともいえます。参考、使徒一四・一五~一七。