5月27日

 「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでも…」(マタイ一八・六)
 弟子たちの間に誰が天国で一番偉いかという天国の先陣争いが起きていた時、主イエスは、それは幼子のような人ですと教えられました。
 マタイ一八章一~四節は、心をいれかえて幼子のようになるべきこと。五~六節は幼子に仕えること。七~九節は幼子と関連して罪の問題。一〇節は幼子を神は見守っておられること。一一~一四節は迷える一匹の羊の例えが記されている一連の幼子(小さき者)に関する連続説教と言えましょう。特に一〇節をとりあげれば幼子、小さい者、信仰の弱い者を見下げてつまずかせるようなことがあってはならないのです。主イエスは、当時のユダヤ人の間で一般にも信じられていた天のみ使いたちの守護を引用することによって、父なる神の小さい者たちへの特別の愛と憐れみを示されたのであります。
 高慢な偉い者たちでなく、見下げられるような小さいものたちを、神は特別に顧みて下さるのです。それは丁度天使たちが父なる神をいつも見ているようにです。また、小さい彼らには格別に神の期待の目が注がれていることを忘れてはなりません。彼らにかけられた将来への天の期待を思うとき、彼らは決して小さくないのです。彼らの存在価値を大いに認めねばなりません。