5月24日

 「きょう、救いがこの家に来ました。」(ルカ一九・九)主イエスの救いは「今日」、「今」です。もちろん明日もあさってにも与えられるものですが、考えてみれば人のいのちは、明日は分からないのです。朝には紅顔の美少年も、夕べには死すこともあります。だとすれば生命ある今日、今このチャンスを見失ってはなりません。また次の機会がある、と思うのは間違っています。
 「一期一会」(いちごいちえ)という言葉がありますが、この語は、井伊直弼(なおすけ)=一八六〇年没が「茶湯一会集」の著書で使った語と言われています。お茶の会は、例えば何度も同じ客と交会(こうえ)しますが、次の会に再び会う事ができるかどうか不明であれば、会った時が最後の別れの時となる故に全てに真剣であれという意味です。
 キリストは言われました。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカ一二・二〇)どん欲を戒められた時も人の命のはかなさを言われました。
 人は物だ、金だ、財産だ、地位だ、名誉だと言って優先順位を誤って、第一に求むべき物を求めようとしていません。私たち人間は本来的には失われたもの、即ち、共にいるべき神と一緒の場所にいない者たちであります。その見失われた存在の人間を、神は見出だして救わんと今日ここにおいでくださって救いを与えようとしておられます。