5月21日

 人には誰でも将来に対する願望・計画・目標があります。しかし、ヤコブ書四・一五の御言葉の如く、「主のみこころなら」という一点を重要視しなければなりません。
 信じた通りに、思い願ったように、考え計画したそのままが、確かに実現する場合もあります。しかしその時はきっと主の御心にかなった故でありましょう。だからと言っていつもそのようになるとは限りません。祈っても願ってもびくともしない厚い壁のある事も現実です。
 けれどもここで大切なことは自我を押し通すことではなくて、主なる神に自己の人生を全て委ね、まかせることであります。この願いを聞いて貰わねば自らの人生はないといった、逆に不信仰が募るような祈りは駄目ですね。
 ヤコブ書では神から、教会から離れて商売を行おうとする者に対しての警告文があります。どこ迄も主の御意志が働き、主のお許しがあれば成功もし、うまく結果が出るに違いありません。どこ迄も何事も主の御名前が上がる為であり、主の御気持ちに合致すればの話であります。祈り願いつつも、あく迄も主の御旨に従ってゆける信仰が欲しいものであります。誇り高ぶる人間、創造主の神様のお力など借りなくても独自でやっていけると錯覚している人に対する警告文でもあります。