5月20日

 ヘブル書七・二七、九・七、一二、二六、二八、一〇・一〇には、「ただ一度」という言葉がでてきます。これらの箇所でのこの語の示唆するところは、キリストの贖いの効果が、永遠性、永続性のものであって、二度と繰り返す必要の無いことです。キリストがこの地上に来られたのも、全人類の罪を担い、これを取り除くため十字架上で死ぬためでした。しかし、その行為はただ一回でよかったのです。何回も繰り返すことは不要であるほどに、完全、完璧に私たちの罪を取り除いてくださったのです。
 ヘブル書記者の言うキリストの降誕と十字架での受苦と死とは、人間歴史上、今からさかのぼる約二千年前に「ただ一度」起こった事実なのです。旧約のイスラエルの祭司たちは、自分の血ではない動物の血を捧げるために、聖所に何回も入って罪の赦しの儀式を繰り返さねばなりませんでした。
 しかし、イエス自身によるいけにえは本物のいけにえであって、永遠の効果があり、繰り返しの必要はまったく無いということを、改めて認識し信じる必要があります。もしこれが普通の人間の死であれば、そこに特別な意義を考えませんが、けれども預言者に勝り、祭司に勝り、天使に勝るイエスが神のご性質をもってこの世に誕生し、ただ一度貴い血潮を流してくださったのは、私たちの救いのため、それは実に神の愛によることでした。