5月15日

 現代の青少年は、目立った非行歴や前科もないのに、利害関係のない見知らない者に対し、自分の心の中にある満たされない空虚感を満たす為に、恐ろしい犯罪に至る場合があります。今日の豊かな社会にある数多くの問題の一つに、空虚な自己を埋めるために何か悪いことを犯そうとする病理的体質・性質をどのように処理・解決するかということがあります。
 「空虚」という事は旧約のソロモンも伝道者の書で告白し、かつその真実の解答を一二章一三節で与えているように、「結局のところ…神を恐れよ。神の命令を守れ」という一点につきることであります。新約的に言えば、「神の国とその義とをまず第一に求め」(マタイ六・三三)、神と、キリストと出会い、「信仰によって救われ」(エペソ二・八)、「イエスの平安」(ヨハネ一四・二七)を所有し、「どんな境遇にあっても満ち足りること」(ピリピ四・一一)を体験することによってのみ、罪深き病理性を克服し、勝利の人生を営むことが可能となることを確信いたします。
 青少年のみならずあらゆる階層の人びとが真実の神に出会い、救いを得るまでは自己の空虚を何物によっても埋めることは不可能であります。もし他の何か(サムシング)によって得たと思ってもそれは偽りであることに気づかねばなりません。