5月11日

 旧約聖書、第一列王記三章一六節以下にのっている事件です。二人の遊女が一つ家に住んでいて共に子を産んだのですが、乙の遊女はその子を眠っている間に、ふとした事で誤って死なせたので、その死んだ子をひそかに甲の遊女の子ととり替え、生きている子が自分の子ですといって争いました。この事件の判決の為にソロモンは神から頂いた知恵をもって、みごとに裁いて本当の母親の手元に乳児を渡すのです。
 ここで学ぶ点は、真実の母親は我が子がさばきの段階で半分に切られるのは忍びがたく、相手の遊女に渡そうとします。本当の母親の愛の美しさという事と、その反面における今一人の遊女の真二つにして分ける事を主張する、というこの残酷性の両面をみる事であります。
 母親とは言え人間の心の中には、我が子さえも時と場合によっては捨てる、殺す、虐待する、といったような醜い罪人の一面性も秘めている事実を認めねばなりません。最近のことだけではないでしょうが、幼時を含め子どもへの虐待事件がマスコミを賑わしています。この点を清め、真人間として下さるのがキリストの愛なのです。
 キリストの愛はいつでも、どこでも誰でも平等に純粋、真実に愛することのできる愛であります。人間愛、とりわけ母性愛に勝る素晴しい神の愛、キリスト愛を自分のものとして他者をも愛していこうではありませんか。