5月1日

 「冷蔵庫、電気なければただの箱」以前こんな言葉が流行しました。電気という動力源があって初めて冷蔵庫も本来の目的が達成されます。クリスチャンも「聖霊」という力の源がないと、キリスト者としての生活が成り立ってゆきません。単なる一般の人となんら変らない者で一生を終わってしまいます。「クリスチャン、聖霊なければただの人」にすぎません。しかし、聖霊の力におおわれ、バプタイズ(baptize)されますと一変し、ただの人どころか主に用いられる価値あるすばらしい存在となるのです(使徒四・一三)。
 金力、腕力、学力、知力、権力、美力など様々な「力」もこの世にはありますが、聖霊の力だけはクリスチャン占有の神からの賜物です。有難いではありませんか。
 このみ霊の力をこのたびの全国大聖会(一九九三年)で頂いてお帰り下さい。不参加の方も日々、初代教会にみられる力と愛と聖めのご聖霊に満たされ、益々主なる神のご用に役立つ者(第二テモテニ・二〇~二一)と変えられていって下さい。終末の時代、聖い神の御霊、主イエスの能力の霊に溢れ、喜びをもって前進いたしましょう。
 初代教会、使徒行伝時代も恐るべき聖霊の力、ペンテコステの力を頂いて敢然とこの世に福音宣教のため散らばって参りました。ダメ意識ではなく、私を強くしてくださる方(ピリピ四・一三)によって、どんなことでもできると、確信して前進いたしましょう。