4月8日

 教会ではキリストの地上生涯最後のエルサレム入場の日、すなわち「棕櫚の日曜日」(パームサンデー)から始まる一週間を、全人類の救い主イエス・キリストが十字架にかけられた金曜日(受苦日=グッドフライデー)を含む受難週(パッションウィーク)として守っています。
 キリストの受難については、旧新約聖書を通して明らかにされていますが(イザヤ五〇・六、五三・五)、特に使徒の働きにおけるペテロの説教の中で明言されています。「神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。」(使徒三・一八)
 さらに福音書記者ルカは使徒一・三で「イエスは苦しみを受けた後…」とも記しています。でも弟子たちはメシヤとしても主イエスの苦難の意味を、主が復活するまでは完全に理解していませんでした(マタイ一六・二一~二八、マルコ九・三一、三二、ルカ九・四三~四五、一八・三一~三四)。従って主イエスのエルサレム入城(しゅろの主日)から始まる一週間の重要性についても、余り大切に考えていなかったように考えられます。
 現代の私たちは歴史の舞台に登場され、間違いなく贖罪のため十字架上にあげられたイエスの苦痛の意味を充分かみしめるキリスト教徒でありたいと思います。いのちの大恩人イエスの十字架を喜んで担う者となりましょう。