4月5日

 救世軍創立者のブース大将が見たという夢のお話。キリストが釘つけられた十字架の目の前に自分が立たされています。その苦しみを見るに忍びない、何とかしてお助けしたいと思うのですが、夢の事とて足が進みません。いらいらしている時、一人の小柄な男がはしごを担いで十字架に行き、それを上がっていったので、あぁ良かった、救いに行った人がいたと思ったら、その男はやにわに腰から金鎚をとって、釘が抜けないように、さらに打ち込んだというのです。そして振り向いてニヤリと笑ったその男の顔を見たら、それが自分の顔だったという事です。
 何とも耐えられない夢ですが、これが私達の現実と言っても過言ではないでしょう。十字架上のイエスのご苦難は、それが神の御旨としてもまことに申し訳ない気持ちで心も引き裂かれる思いです。やはり十字架は私の罪の結果だとすれば、主よ、お許し下さい、あなたを十字架にかけたのはこの私でございますと、打ち砕かれて赦しを乞いましょう。受難週に当たっていよいよへりくだって主の前にひれ伏したいと思います。更に、私たちの古い生れつきのままの人間性を十字架につけて参りましょう(ローマ六・六)。又、誇るなら十字架のイエスのみを誇りましょう(ガラテヤ六・一四)。そして十字架のキリストを宣べ伝えましょう(第一コリント一・二三)。