4月3日

 今日私どもの間において必要なものは信仰の復活です。個人信仰の復活であります。個人個人の信仰が燃えていれば伝道の進展は見られ、教会は大いに活性化されてゆくでありましょう。
 復活後の主イエスは、ユダヤ人を恐れて戸を閉じてふるえている弟子たちに、「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」といって、彼らに息を吹きかけて更に言われました。「聖霊を受けなさい」と(ヨハネ二〇・二一~二二)。その後ペンテコステの日、彼らは文字通り聖霊を受け、宣教、伝道、証の力を頂きました。
 信仰復活、リバイバルされた人たちの中でも特に、漁に行くと言って失望落胆していたペテロ(ヨハネ二一・三)などは、原始キリスト教会を設立していく大立役者として、主に大いに用いられて参りました。使徒の働き三章一~一〇の「美しの門」の前に運ばれてきた生まれつき足のきかない男が、ペテロの一声によって直ちに癒された記事など読むと胸がわくわくいたします。
 世紀末の今日、私どもの信仰も復活され、大胆にこの闇の世の中に切り込んで行きたいものです。世の人々は霊的に枯れ、死んでいます。彼等の霊がよみがえらされ、「イエスは主なり」との告白に至るまで、遣わされたものの使命を全うしていきたいものです。