4月26日

 キリストの復活が伝えられた日の午後です。エルサレムから一〇キロ余り離れたエマオという村に向かって歩いて行く二人の旅人がいました。信仰者は旅人ですが決して孤独のさすらい人ではなく、復活のキリストと共に同行二人の巡礼の旅と言えます(ルカ二四・一三~三二)。
 「エマオのキリスト」については、画家レンブラント(一七世紀)の他にカラバッジオ(一六世紀)パウロ・G・ドレ(一九世紀)、力ール・ブロック(一九世紀)等が、題名を異にして立派に描いています。ドレを除く他の三人に共通する絵画は、食卓に座っているイエスが弟子達にパンを裂いている、またはこれを渡している構図であります。
 なぜこの場面を彼らは絵にしたのでしようか。多分この時に彼ら弟子たちの心の目が開かれ、イエスだと分かった大事な瞬間だったからでありましょう。一一キロメートル(ルカ二四・一三)もイエスと共に話ながら歩いて来たにもかかわらず、弟子達にはその方が復活のイエスだと分かりませんでした。それがパンを裂きこれを彼らに渡した時に分かったと言うのです(ルカニ四・三〇~三一)。正にご聖霊のお働きでありましょう。
 私達はどんな時、どんな場合にイエスだと分かったのでしょうか。いよいよ心の目が開かれてイエスと一緒に歩みたいものです。