4月25日

 わたしたちの信仰の歩みは神のみ国、天国に入る目的をもっています。ただこの地上生活だけを視野に入れているのではなく、どこまでも約束の地、神の安息の地に入ることを目標に置いて励んでい ます。しかし、時折残念なことにかつてのイスラエル民族の例にもみられますように、入り損う人たちが出てくるということです。
 故にヘブル書の記者は、四章一節で「入れないようなことのないように」と注意を呼びかけています。昔のイスラエルが入れなかったのは何故でしようか。神のみ言葉を聞こうとしなかった。いや聞いたけれども信仰的に聞きませんでした。信仰と結びつけて聞かなかったのです(同上四・二)。という事は心がとても頑固であった訳です。ですから詩篇九五・七~八を引用して「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」と注意しているわけです。
 わたしたちも、先人の失敗を繰り返さない為にも、主の約束された平安と安息の地、天国に入るため、心柔らかくして主のみ言葉は神のみ声として聞いていきたいと思います。一一節には、「力を尽くして努め」ともあります。神の安息を得るために今日というこの時を大事にして、礼拝で、また個人的ディボーションなどをとおして真剣にみ声を聞くように、励みたいと思います。