4月22日

 仮庵の祭(ヨハネ七・二~五二)は一〇月か一一月に行われたので、にぎやかな収穫感謝の時でもありました。兄弟たちに対してのイエスの返事は、前に母に対してした返事と似ています(ヨハネ二・四)。人々の前に現れる時はまだです。イエスはご自分の死と栄化とを暗示しておられます。
 彼らは世の精神(自分を立派にみせる事)と相通じていますので、いつでも自由に祭に行ける。けれどもイエスは、真理をあかしして、世の根本的な悪の性質を暴露し、世を敵に回してしまわれたので、いつ殺されるかわからない事になってしまいました。ですから「わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ七・六)、「わたしはこの祭りには行きません。わたしの時がまだ満ちていないからです」(同上七・八)といって、イエスの兄弟たちのエルサレムへの上京への促しに対し一時は断られました。
 けれどもついにイエスも祭に行かれます。けれども、「内密に上って行かれた」(同上七・一〇)のは、自分の命を狙って殺そうとしている者たちを避けるためでもありました。つまり自らの力をどうだと言わんばかりに公に現すためでなく、ひたすら十字架への道を歩んでいく、全人類の救いのために。そのためには犬死にしてはならない、十字架以前に暗殺されてはならない、と思われたのです。それほどイエスは十字架につく時、タイミングを重要視されていたのです。