4月2日

 クリスチャンは誰でもキリストのご愛を伝えたいと願っています。その為にまず伝道したい方のお名前を頭に刻みこんで、懸命に祈りはじめねばなりません。教会にお誘いする前にとにかく祈りましょう。信じて、忍耐をもって主に叫び求めましょう。決してあの人は駄目だろう、などと自分の推測、判断で名前をカットしないようにしたいものです。なぜなら神様に不可能は無いからです。全能者なる神に全てを委ねて、教会にお導きしたい方のため、朝に、夕に感謝と喜びに満たされて祈り続けましょう。ご聖霊は働いてくださいます。そして、み霊に示された時お誘いの声をかけてみましょう。
 「少しも疑わずに、信じて願いなさい。」(ヤコブ一・六)
 さて救世軍の山室軍平は、「救わんがために救われてある」と語ったそうです。お互いにわたしのような者が救われたのだから、あの祈っている方が救われないはずはない、とイエスを信じて与えられた、注入された救いの恵みを分かち与えていくのが伝道であります。福音の恵みをひとりで占領せず、お相手にも提供していく心からの愛がほしいものです。主の恵みを流していく水道管のように主に用いられる一本のパイプになろうではありませんか。人を根本的に変えられるのは、もちろん神でありご聖霊の働きですが、しかしわたしたちが何もしなくていいのではありません。祈り伝える努力も必要です。