4月18日

 復活後の主イエスはデドモと呼ばれていたトマス(ヨハネ一一・一六、一四・五、二〇・二四、二八)の前に現れなさいました。しかし彼は復活の主とは直ぐには信じられませんでした。なぜでしょうか?イエスがこられた時、他の弟子たちと一緒にいなかったからだとヨハネ二〇・二四はその理由を説明しています。
 他の弟子たちは懸命に「(御復活の)主にお目にかかった」と説明しても一人トマスは釘あと、槍あとの傷口に自分の手をさし入れてみなければ信じられないと、不信の気持ちを訴えるのでした。
 もし彼が他の弟子たちと「一緒にいたら」どうであったでしょうか。きっと彼も皆と同じように栄光の主イエスに出会い驚きの中にも、信じられたのではないでしょうか。
 みんなと一緒、特に同信の友と一緒にいる時、私達は刺激と励ましを受けてその気になれる事も十分考えられます。時に孤独を愛することはあってもいいのですが、いつも単独、孤独を愛する者であってはなりません。私達は交わりの存在だからです。主に在る兄弟姉妹と共に進みゆくものでありたいと願います。特に人がその一生を終える時の最高の過ごし方は、最後まで自分の親しい者と共にいる事ではないでしょうか。交わりの無い中で一人頑張るのではなく、誰かと手を握れる関係を作っておきたいものです。