4月17日

 私たちクリスチャンの価値基準はどこまでも「聖書」一冊です。ところが異端の統一原理講論第一章創造原理には「絶対的な価値の基準である神」という表現が出てきますが、しかし進むにつれてそれは「天のお父様(文鮮明)のみ旨」が絶対の基準ですという概念にすりかえられます。「原理の基準では…」と繰り返し言われ、一般常識や倫理とはまったく異質の、統一教会独自の価値観を植え付けていくのです。また、原理に対して疑問を抱いたり批判的になることは「心霊の基準が低い(下がった)」とされ、決してそうした気持ちを持たないよう逆に鼓舞されるように仕向けられるのです。統一教会の教えや、やり方に対して冷静客観的に判断することを許さ耐い、舞台装置の一つとなっています。誠に恐ろしい事であります。
 私たち正統的プロテスタント教会の全ての行動判断の基準にまずもってくるものは、神の言葉「バイブル」であります。これを正しく解釈して、聖書の神はどう仰せられているか、神の御旨を正しく捉えていくのであります。
 決して似て非なる偽キリスト教にだまされてはなりません。「聖書の預言(神の言葉)はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言(神の言葉)は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(第二ペテロ一・二〇~二一)