4月16日

 信者は神の僕です。主人より特別の使命、任務を委ねられた者達です。故に彼らはこの任務を遂行するまでは死んではなりません。いやその時までは死なないのです。リビングストンは言いました。「私達の天職が終わるまでは不滅であろう」と。
 この一句はキリスト者の確信でもあります。クリスチャンに与えられた天職とはいう迄もなく福音の使者として、主を伝え、主を証ししてゆく事にあります。この伝道の一事を果たす迄は私達を主は死なせないのです。また、ローマ書一〇・一のパウロのことばの様に、「私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです」と終生祈りこんでいくことです。
 しかしこの為の御用が終われば死んでゆくのです。私達は今いたずらに死を恐れる事はありません。「土地をふさいでいる」(ルカ一三・七)生涯を主は送らせなさいません。主の為にある私共の人生です。主のお役に立たない長寿は祈るべきではありません。既に主に栄光を帰さない自己の安心立命のみに腐心する者、まして主の道を伝え、証しする事をしない者は、あなたの地上の役目は終了せり、と言って主は私共の命を取り給うのではないかとも思われます。
 しもべは主人の用を完遂し終わればそれで大満足であり、死んでもよいのです。主に従いましょう。例えその道が多くの人が歩まない細き道でありましょうとも…。