4月14日

 「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」(使徒一七・三〇)
 人間は悔い改めることによってのみ、神の裁きを迎える準備ができます。すなわち「神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになった」(使徒一七・三一)からです。歴史はこの裁きに向かって進んでいますが、その到来が遅いように思えるのは、神が「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられ」(第二ペテロ三・九)、忍耐深く待っていて下さるからです。
 けれどもこのような神の忍耐を考えず、「人々は、その手のわざを悔い改めないで…偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった」(黙示録九・二〇、二一)のです。彼らは神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしませんでした(黙示録一六・九)。しかし未信者ばかりでなくクリスチャンも悔い改めなければみな滅びるのです(ルカ一三・三、五)。でも自分が悔い改めた後は、未信の人たちに対して「この曲がった時代から救われなさい」(使徒二・四〇)と叫びたいものです。