4月11日

 エペソ人への手紙三・一四~二一までのパウロの壮大かつ深遠な「祈り」に触れていると、彼のいる場所が「獄舎」であることを忘れさせる程であります。なぜなら獄中に幽閉されている時、人間を襲う危機は、絶望感、孤独感、不安と恐怖、猜疑心など精神的閉鎖状況の救いようのない点だからであります。この時思考は極端に鈍化し次元の低い欲求のとりこになるのが普通だからです。
 しかしここにはそうした影が少しも見られないのは、彼がエペソの人々に対して祈った祈りをそのまま生きていたからに他なりません。彼の内なる人の強さ、そうさせるべく彼に働きかけている永遠者の強力な働きかけ、父なる神の無尽蔵の富、彼自身に宿り続けるイエス・キリストのアガペー愛の広さ、長さ、深さ、そしてその充満などが、彼をして明るく生かしめていったのではないでしょうか。
 現代の空前の魂のうつろと荒廃の時代に神の充満(プレローマ)の祈りは、空虚と荒廃の打開と克服への道しるべとなっています。非常に急いで書きながら何と深い内容の祈りに結晶していることでしょうか。「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、(父なる神に)とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ三・二一)と祈るだけであります。