3月9日

 神はなぜ創世記第四章のアベルの供え物に目を留め、カインのそれを顧みられなかったのでしょうか。それはカインが神のみ旨にそった正しい供え物、捧げ物をしなかったからであります。何でも神の前にもってくればよかったのではありませんでした。人間の罪が動物の「血を流す」事なしに赦されなかった旧約聖書時代の事を思う時、カインの捧げた地の産物を目に留められなかった意味がよく分ります。弟アベルは羊の初子、それも最良の物をもってきたのです。
 この第四章冒頭の記事の中に人類最初の殺人事件を見ます。兄カインは主の御心を伺わず勝手に捧げて、目に留めてもらえないと嫉妬し、怒り、憎しみ、アベルを殺してしまいました。ここにアダム、エバの血筋を引いた人間の悲しい姿を発見いたします。兄カインはむしろ弟の件で共に喜ぶべきでありました。そして自らの捧げ物がなぜ主なる神に気にいって貰えなかったかを問い、反省、悔い改めるべ きでありました。そして戸口で待ち伏せしている罪(サタン)を征服すべきでありました(創世記四・七)。
 今の時代は主イエス・キリストご自身がすでに十字架上で血を流して贖罪をなしとげていてくださるありがたい時代であります。それゆえに動物犠牲は一切不必要な、すばらしい恵みの時代に生かされている事を感謝しましょう。