3月27日

 イエスを「神の子」と告白することは、新約聖書の信仰告白のうちでも根本的なものです。神のみ子イエスは、神との究極的な一致においてそのわざをなす者を意味します。ですから、神の子という場合、父に対する服従ということが強調されています(マルコ一四・三六他)。
 マルコ福音書の中心主題は、神の子の顕現であると言われています。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(同一・一)という書き出しで始まり、同書の結び近くにおいて、ローマ人の百人隊長が「この方はまことに神の子であった」(同一五・三九)と告白しています。マタイもルカもみなイエスが神の子であることを強調しています (マタイ二・一五、四・三、六、一四・三二、三三など、ルカ一・三二、三五、三・二二、四・三、九・四一、八・二八、九・三五、二ニ・七〇、ヨハネ一・三四、四九、五・二五、二八、一〇・三六、一一・四、二七、一九・七、二〇・三一)。
 パウロはローマ人ヘの手紙の冒頭に、ローマ教会も告白していた信仰告白を引用しています。「御子は…大能によって公に神の御子として示された方」(ローマ一・三~四)。またヘブル書にも主の御名が示されています(ヘブル一・五、三・六、四・一四、五・五、八、六・六、一〇・二九)。このように神の子は救済史において自らを啓示されているのです。わたしたちも天の神がお遣わしくださったイエス・キリストを同じように告白し、服従してまいりましょう。