3月25日

 キリスト教会では灰の水曜日から受難週の土曜日まで、六つの日曜日を除く四〇日間をレント(四旬節、大斎)と呼んで、特に主の十字架の苦難をしのび、神の愛を思い、断食や、種々の欲望を絶って摂生するなど、聖別された季節として過ごす伝統があります。もちろん私たちキリスト者にとって、主の十字架のご苦難を思うことに期間のあるはずはありません。けれども年間を通じてこうした改めてイエスが受けられた、にがき杯、十字架上のお苦しみがどれ程のものであつたかを特に想起する時は大変重要かと考えます。
 ヨブ四二・六には、「私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています」とあります。この表現は、古い時代から悔い改めや深い嘆きのしるしとして、ユダヤ人だけではなく他国の人々の習慣でもあったことは、旧約聖書の中にも見られます。
 燃え尽き炎も熱もなくなってしまった灰は、古くから宗教行事と密接な関連を持っていましたが、この灰のもつ深い意味を、ヨブはまことに適切な言葉を用いて表現しています。ここに信仰の真髄がしめされているといってよいでしょう。自己義を主張し続けたヨブはまったく打ち砕かれて「自分をさげすみ」灰をかぶり、真の悔い改めに到達したのでした。このような真の懺悔のあるところに神との出会いがあり、これが「灰の水曜日」の意味であります。