3月24日

 パウロは新生したクリスチャン達への奨励をコロサイ三・一二以下で行っています。キリストの言葉という表現は、キリストによって語られた言葉とも、キリストについて語られた言葉ともとれますが、いずれにしても啓示、霊感された「福音の言葉」を示している事に変わりはありません。この御言葉がコロサイのキリスト者の心の奥深くに定着する事が何よりも大切だと説いているのです。そして以上の勧めは個人的というよりコロサイの教会という共同体に向けられています。
 つまりパウロは信徒の群れの中に「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」(コロサイ三・一六)と言っています。この事から初代教会においては、単に個人個人の生活ばかりでなく、教会の交わりの真只中でも、御言葉を互いに分かち合う生活が実践されていた事を知らされます。
 この世には言葉が氾濫しています。どの言葉に聞いていいか迷います。生活上聞かねばならない必然的な言葉、良いためになる言葉、その他あれこれ一杯耳にする言葉が存在します。しかし、キリストのことばが教会の中に満ち溢れるような美しい光景が私たちクリスチャンの中でも、もっともっと盛んになっていってほしいと願われます。「主のことばを聞くことのききん」(アモス八・一一)ではなく、主の言葉が豊かに聞ける時代にある以上、どん欲に御言葉に聞く姿勢を保持してゆきたいものです。