3月21日

 新約聖書には二五ヶ所にわたって「奥義」(ムステーリオン)という語が使用されています。マタイ一三・一一、マルコ四・一一、ルカ八・一〇、ローマ一一・二五、一六・二五、二六、第一コリント二・七、四・一、一三・二、一四・二、一五・五一、エペソ一・九、三・三、四、九、五・三二、六・一九、コロサイ一・二六、二七、二・二、四・三、第一テモテ三・九、黙示録一・二〇「秘められた」、一〇・七、一七・五、七、です。
 それは「長い間隠されていた」ものです(ローマ一六・二五)。すなわち異邦人の救いに関するものでした。「これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。」(コロサイ一・二六)。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり…ともに約束にあずかる者となるということです。」(エペソ三・六)。
 私たち日本人は選民ユダヤ人ではないとすれば、異邦人であったものが、福音によって神の子となり信じる者として、キリスト様の降誕、受肉、十字架の贖いの死、復活、昇天、再臨、携挙など、いわゆる奥義の数々を私のものと受けとめる事が出来るようにされたということは大きな恵みであり、特権といわねばなりません。
 エペソ一・九の奥義とは、「神の救いの雄大な御計画」 (尾山訳) ということなのです。