3月13日

 旧約聖書イスラエルの歴史は今日にも共通する人間像を反映しています。
 霊的信仰的、軍事的にもリーダーであったヨシュアが死んでのちのイスラエルは混乱を極めました。彼らは主なる神を忘れてバアルやアシェラなる偶像神に仕えたのです。これは天地創造主ヤーウェが最もいみ嫌う行為でありました。
 それ故に主の怒りが燃え上がり、敵の侵入で国は滅び八年間、クシャン・リシュアタイム王に仕える身となったのです(士師記三・七~八)。士師は「さばきつかさ」(同二・一六)と読み、カナン征服から王国成立までの期間におけるイスラエルの政治的、宗教的指導者を指します。
 とにかく士師時代のイスラエルは偶像礼拝の失敗に気づき、主に助けを叫び求め祈るのでした。すると憐れみ深き神は彼らの救助のためにオテニエル(同三・二)という人物をたてて、アラムの王リシュアタイムから助けだされました。実に背信・堕落→神の裁き・敵の圧迫→救助への叫び祈り→神の救い助け、といったくり返しの形(パターン)が以後続くのです。例え主の助けが期待されるとしても、あえて罪を犯すことのないよう注意したいものです。
 人は例え宗教的偶像でなくても、主なる神以上に大切なものがあればそれらは全て偶像となるのです。イエス・キリストを最高神として崇めこの方にのみ仕えていかねばなりません。