3月12日

 聖書を読む時は、単に知識を求めて読むのではなく、新しく変えられてゆく自身の素晴らしい姿を想像しながら読みましょう。聖書を読むことで、立派な、さらに充実した創造主に用いられる人間像をイメージしたいものです。アブラムはアブラハムに変えられていき(創世記一七・一~二五・七)、旧約のヨセフは苦しみを経て遂に大臣に迄起用されるに至りました。少年ダビデはイスラエル第二代目の王様にまでなっていき、漁師ペテロは、初代教会時代の伝道者として、キリストの福音宣教者として豊かに用いられていきました。
 私たちはどのようなクリスチャンとして進んでゆくのでしょうか。常に祈り、すべてのことに感謝していく、そして聖霊に満たされたクリスチャンとしての豊かな姿を映像化してゆきましょう。聖書を読み学んで、理屈屋になるのではなく、むしろその中に登場している勝利ある神の器たちのように、ぜひ私もなりたいという願望をもって聖書に接してゆきたいものです。
 分からない箇所があっても毎日続けて読む。やがて分かる時が必ず来ます。不明な点は調べるか、尋ねること。祈り心をもって実行する気で読む。傍に聖書辞典、聖書語句辞典(コンコルダンス)を揃えて置く。とにかくコツコツと神の言葉、聖書を読み続けましょう。「…非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」(使徒一七・一一)