2月8日

 「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル七・二五)「御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ八・二六)
 諸兄姉よ、自分を見ないで永遠の大祭司イエス・キリスト様を見ようではありませんか。
 生涯躁うつで悩んだルターは、しばしば悪魔を見てそれと戦ったと言われます。悪魔にインキ瓶を投げつけたというのは、決して作り話ではないでしょう。彼は「神の力を知るだけでは足りない。サタンの力を知らなくてはなりません。そして私たち人間は、そのサタンの力に弱いことをも知らなくてはなりません。それだからこそ、私たちは必死にキリストとその福音により頼むのです」と言っています。
 キリストは常にこうした病み、悩める人間の救いのために、御霊と共に父なる神に向かってとりなしていて下さるのです。私たちも仲介役、仲保者としての役目を今日に担っています。クリスチャンは誰でも一般大衆のために、とりなしてゆきたいものです。
 かつてのアブラハムが(創世記一八・二〇以下)、モーセが(出エジプト三二・一一以下)アモスが(アモス七・一~六)、パウロが祈ったように(ローマ一〇・一)。すなわちこの民を滅ぼさずこの民を悔い改めに導き給えと、祈っていく現代の祭司でありたいと願います。そして悪魔に勝利していきたいものであります。