2月6日

 「喜び」は御霊の実の一つです。この喜びの性質は肉的、快楽的、世俗的、本能的、感覚的な喜びというよりは、福音における喜びであります。すなわち罪を許された喜びです。
 マルコ二章の中風の男も、ヨハネ八章の姦淫の女も、使徒三章の美しの門前に座っていた乞食も、ルカ二三章の十字架上の強盗もみな罪を赦された人物達であります。その他ザアカイも盲人バルテマイも、とにかく彼らは自らの罪、咎(とが)、汚れ、不信仰の罪を赦して頂いて大喜びであります。なぜ大喜びができるのでしょうか。それは、罪赦されると自分の名前が天に記録されるからであります。これが最大の喜びです(ルカ一〇・二〇)。
 イエスご在世当時、七〇人が喜んで勝利の伝道報告をイエスにいたしました(ルカ一〇・一七以下)。すると彼は言いました。「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません」と注意をうながし、続いて「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」と。真実な福音の喜び、永遠不滅の喜び、しかも信じる者には誰にでも与えられる喜びをもってまことの喜びとするように言われました。しかめっ面や悲観的表情で毎日を送ってはなりません。パウロのように逆境の中でも讃美を歌いつつ、祈り、喜んで主の証人らしく、堂々と胸をはって進みましょう!(ピリピ四・四)キリストと共に聖霊に満たされ喜び溢れて参りましょう(ルカ一〇二一)。