2月5日

 マタイ二五・三一~四六には全ての民族を裁く主イエス・キリストが語られています。即ち、羊飼いが羊と山羊を選別するように、人の子イエスによる全ての民族の選別と王による裁きであります。けれどもその裁きと選別の基準になるのが「無償の愛の行為」であります。報いも御礼も賞讃も求めない愛は極めて美しいものです。しかしこの神の愛にも似た真実の愛をもって、自分を愛するように自分の隣人を愛する事ができるのか、どうかですが、否という場合が多いのではないでしょうか。
 私共の本来的にもっている愛は、好きな者だけを愛します。自己中心的愛なのです。嫌いな人には決して「食べる物を与え、飲ませ、宿を貸し、着る物を与え、病人を見舞い、尋ねる」事等しないのです。それができるのはどこ迄も自分と気の合った人、自分にプラスになる人だけであります。けれども、それではいけません。
 何とかキリストの愛に満たされ、ご聖霊のお助けを借りてこのエゴを克服勝利して、何人をも平等に愛せられるクリスチャンに変身させて頂かねばなりません。祈って愛の力を与えられましょう。「神はご自分の愛を地上に徹底させるために母をつくられた」と、一神学者が言いましたが、確かに母性愛は神からの賜物です。母の愛は無私の愛、打算を乗り越えた愛です。そのような愛の心が誰にも与えられたいものです。